第三章 - School life
-日常に紛れ込む不協和音-


 やはりこのまま倒れているわけにもいかない。蒼志朗は気力で立ち上がった。
「マジかよ、足ぼろぼろじゃん」
 言いながら三人組の一人がこのみの腕を引く。
 が、彼女の表情は凛として平静だ。よく分からない娘だと蒼志朗は思った。
「相原は関係ない、離せ」
 そう言って睨み付けてみる。童顔ではあるが眼光は強いと言われたことがあった。それで相手が怯むことはないが。
「奈々瀬・・・・・・」
 彼らはこのみの腕を握ったまま離すつもりはなさそうだ。
 負傷した身体でどう動くべきか――
 蒼志朗が判断を下しかねていると、突然場に不似合いな声が響いた。
「おうい、なーにやってんだてめえらあー」
 振り返ると、フェンスの向こうに齢三十過ぎほどの異質な男が立っているのが見えた。
 何が異質かといえば、まず満面の笑みだ。そしてフェンスをよじ登る手足。公園の入り口を通る気は毛頭ないらしい。
 二秒で男は二メートルほどあるフェンスを乗り越えてしまった。まあ、そのくらいのスピードがあれば入り口に回るのも面倒だろう。蒼志朗は納得した。
「婦女暴行かいあんちゃんらよお。男を殴るのは趣味だけどよ、そういうのは好かねえなあおい」
 なんとも恐ろしいことを口にして近寄ってくる男。しかも、何故かとても嬉しそうな笑顔を顔面に貼り付けている。
「おお、よくみりゃ婦女暴行じゃねえじゃねーか。兄ちゃん大丈夫か、しっかりしろオイ」
 ぺしぺしと蒼志朗の頬を打ちながらそう話しかけてくる。どうでもいいが、やたら大きな体と声を持った男だ。
 と、このみの腕を握っていた少年が男に歩み寄った。威圧を与えるようにして、言葉を吐き捨てる。
「んだあおっさん、俺は今こいつと話してんだよ。あんたは関係ないだろうが、引っ込ん」

 蒼志朗にも、何が起こったのかはよく分からなかった。
 痛みで視覚が上手く働いていなかったのもあるが、何よりも男の動きがあまりに突発的で俊敏だったせいだ。
 事態を把握したときには、すでに数メートル先で三人組の一人が意識を失っていた。
「ああ、ああーあ悪ぃっ。すまん。つい、やっちまったよ。ほんと悪ぃ。くせなんだ、俺の」
 額に平手をついて、後悔気味にそんなことを言い出す男。たった今男に拳を当てられた少年には、もちろんそんな言葉は聞こえていない。
「俺な、関係ないとか言われるのすっげぇ嫌なんだ。こっちゃ必死で関わろうとしてんのによ、すっぱり切り捨てられちまったみてえでさ。それにな、俺はさっき「てめえら」っつったろ。あの中にはあいつのことも含まれてたんだよ。だからさ、俺とあいつは関係してんだ。な、そう思わねえか兄ちゃんよお」
 いきなり話をふられて、蒼志朗はやや戸惑った。確かに関係は持っているかもしれないが、あの少年が言った言葉の意味とは少し違う気もする。
 ややあって、このみが男に言葉を返した。
「た、確かにそうだけど・・・・・・あの人の言ってた関係は、もっと別のものだと思うよ・・・・・・合ってるかどうか分からないけど」
 多分それで合っている。心の中で同意して、蒼志朗は少しだけほっとした。
「ああ、そうなのかよ・・・・・・クソォ、間違ってんのは俺か。でもさっき悪ぃってちゃんと謝ったから、もう謝らなくていいよな。・・・・・・あ、聞こえてねえのかなもしかして。すまん、ちょっと起こして来るわ。待っててくれ」
 言い残して、公園の隅の方でのびている少年のもとへと向かう。
 しかしさすがに唖然として固まったままだった三人組の二人にも、表情に怒気が戻った。
 互いに顔を見合わせたかと思うと、突然ふたりは男へ襲いかかった。
 男は振り返るが、もう遅い。
 直後、高らかに振り上げられた少年のかかとが、男の後頭部を直撃する。
 前方に傾いだ男の額に、待ち構えていたスパナが炸裂した。
 男は盛大に血の赤を吹き散らして転倒――
 かに思われたが、なんと男は踏みとどまった。
 しかも、一滴の血すら流してはいない。
 その上不適に微笑んだ男は、再びスパナを振りかぶった少年の腹にボディブローを叩き込み、続いてもう一人にも顔面ひざ蹴りを見舞ってやった。
 よって、赤い花を咲かせたのは二人の少年――勝者である男は、嬉しそうな顔にさらに輝かしい笑顔を上乗せ、右手を掲げて勝ち誇った。
「ああ、やっぱ喧嘩は人間相手じゃなけりゃあ駄目だ。さすがにこの感触は化け物相手じゃ味わえねえよな。あの泥沼みてぇな殺気じみた眼も人間にしか出来ねえ、化け物は生きるのに必死だからな」

 ――化け物?
 いま、化け物がどうとか言わなかったか。

 蒼志朗が怪訝そうに男を見つめていると、急に男は振り返ってこう言った。
「あんた、アマチュアのハンターだろ、なあ」
 一瞬何を言われたのか理解できずに、蒼志朗はきょとんとした表情のままで言葉を返す。
「え、は、・・・・・・はい」
 かなり間の抜けた返答であったとは自覚する。どうやら意識は正常とは言い難いらしい。
 蒼志朗の返答を聞いて、男は微妙に衰えつつあった笑顔をまた満開に咲かせてみせた。
「だろ? あんたすげえオーラ放ってんだもんなあ。すぐに分かったぜ」
「あ・・・・・・あなたは・・・・・・」
 よろよろと立ち上がりながら、
「その、プロの方・・・・・・なんですか」
 率直に浮かんだ疑問をとりあえず投げかけてみる。
 蒼志朗の虚ろな足元に見かねた男が、肩を貸して質問に答えた。
「おお、さっすが。よく分かったなあ、俺がプロってこと。高木っつーもんだ俺ぁ」
「な、奈々瀬蒼志朗です」
 つい下の名前まで名乗ってしまう。
「俺のこたあ何て呼んだって構わねえぜ。仲間内からは苗字で呼ばれることが多いがな・・・・・・何でだろうなあおい、まあいいか。兄ちゃん、あんたのことはシロって呼ぶぜ。いいよな」
「え、は、はい」
 思わず返事してしまった。後悔するが、もう遅い。
「そうかあ、シロで気に入ってくれたか。いやあ良かった良かった。仲良くしような、シロよお」
 豪快に笑ってばしばしと蒼志朗の背中を平手でたたく。恐ろしく痛いが、それを声に出して伝える気力は今はない。
 それよりも今は聞くべきことがある。
「あの・・・・・・高木さん」
「なんでえ、シロ」
 口を開きかけるが、蒼志朗は一瞬躊躇した。もしかしたら希望を断たれることになるかもしれない。
 ――しかし。
「紗耶ってひとを知っていませんか? 仲居紗耶。プロのハンターをやっているはずなんです」
 もしも「いない」と言われてしまえば、それまでだ。
 だがここで聞き逃せばきっと後悔するだろう。これはチャンスなのだ。遅かれ早かれ、知らなければならない。希望を失うより知らないままの方がいいとも思うが――
 それでも、このままでは絶対に終われない。
「紗耶なら知ってるぞ」
「ほんとですか!」
 間髪入れず、蒼志朗はそう聞き返した。
 ゆっくりと首を上下に動かしてから、高木が口を開く。
「知ってるもなにも同業者だからよお。勤務時間が違うからあんま顔合わせたりしねえけどな、ちょっと事態が厄介なことになったときゃあ一緒に仕事したりしてたぜ」
「てことは・・・・・・今も仕事場に紗耶さんが」
 真剣な眼差しで高木を見据えて問う。
「いるぜ、今頃夕飯作ってんじゃねえか。なんせ自炊だからよ、当番制で飯作るんだ。けど今日のメンバーで料理できんの紗耶くらいだから、紗耶が台所に立ってやがるな、きっと」
「そ、そうですか・・・・・・ありがとうございます!」
「なんでえ、知り合いかよ?」
 嬉しそうに笑みを綻ばせた蒼志朗を、怪訝そうに見つめながら高木が問う。
 慌てて蒼志朗が感情を取り払って、冷静に応えた。
「ええ、そんなところです」
「・・・・・・ほお」
 やや納得のいかない表情を浮かべた高木だったが、すぐにまあいいかと切り替えて笑顔を貼り付ける。
「ま、俺は人間と喧嘩出来ただけで楽しかったぜ。ほとんど一方的で面白みはなかったけどよ。シロ足は大丈夫か、家帰ってきちんと手当てしてもらいな。それじゃあ俺はこれで帰るぜ。おお、見たいテレビあったの忘れてた。じゃあなー」
 一気にセリフを言い終えて、高木はさっさと帰っていってしまった。しかも、入り口の方が帰る方向としては近いのに、フェンスを乗り越えて。
 どうやら型にはまるのが嫌いなタイプらしい。蒼志朗はそう分析した。
「・・・・・・あ、あの」
 急に透き通った声がすぐ近くで聞こえて、蒼志朗は振り返った。
 見るとどうしたらいいか分からないというふうに、このみがそこに立っていた。
 そういえば彼女がいるのを忘れていた――あの会話は聞かれてなかったろうか。いや、聞かれてないはずはないだろう、何せあの高木という男はとにかく声がでかい。
 どうやってこの場をまとめようかと蒼志朗が悩んでいると、このみが意外な言葉を発した。
「体――大丈夫?」
 ふいにそう言われて、蒼志朗は自分の体をまじまじと見つめた。
 急激に痛みの感覚が襲ってくる。立っていられる状態ではなかったのだ。しかし彼女が見ている以上、それを表に出すことは出来ない。
「大丈夫、問題ない。俺はひとりで帰れるから、相原は先に帰るんだ」
 言われて、このみはしばらく蒼志朗を見つめた。
 何処からどう見ても大丈夫なんて言えたものじゃない。けれど、自分に心配をかけまいと虚勢を張ってる――。
「そんなの、駄目。こうなったのは私のせいでもあるのに・・・・・・自宅まで付き添うから、遠慮しないで」
 虚勢を見透かされた上に、女の子に家まで送ってもらうなんて正直嫌だろう。それに彼を尊重出来ないことにもなる。
 けど、やっぱり奈々瀬の言葉を素直に聞き入れるわけにはいかない。
 このみはいつになく強い眼光で蒼志朗を見つめた。
「・・・・・・分かった。じゃあ頼めるか」
 仕方なく蒼志朗は彼女の意見に折れる。てこでも動かないなんて、誰が最初に言い出したんだろう。まさに彼女がそれだ、と蒼志朗は思った。
 笑顔でうなづいてから、このみは倒れたままの三人組を指差して言う。
「それじゃあどうしようか――あのひとたち」
 言われて、蒼志朗はつい唸ってしまった。まさか彼らの心配までするとは思わなかった。このまま放っておくというわけにはいかないだろう、彼女がいる限り。
 色々と面倒なことになったなとため息をついて、蒼志朗は地下都市の天井部を見上げた。
 今日も、この街では薄汚い空しか見えない。


 #


「――八木」
 体育館裏の寂しげな風景に、白い煙が漂う。
「んだよ」
 八木と呼ばれた少年が、不機嫌そうに応えた。
 公園でおかしな中年男に一撃で伏せられてから、一日が経っていた。変わらない日々を持て余すかのように、三人組はこの場所へと集まる。
「あいつ・・・・・・奈々瀬。どうすんだよ」
 そう口にする少年――安藤裕也を一瞥して、八木圭介はけだるそうに煙を吐く。
「馬鹿か、お前。あのおっさんに一瞬で眠らされたの忘れてねえんだろ。よく分かんねえけど、あいつら知り合いみたいだったよ。さわらぬ神になんとやらだ、放っとくのが一番なんだよ」
「だいたいあの奈々瀬ってヤツも相当ヤバイの分かってんじゃん。安藤あいつ殴るときさ、焦ってんの見え見えだったよ。脚集中的に狙ったのもそのせいなんだろ」
 八木の言葉に賛同して、川北弘也がそうぼやく。
 安藤はしばらく二人から視線を外して考え込んでいたようだったが、やがて真剣な面持ちで話を切り出した。
「喧嘩をやらかそう、ってわけじゃねえんだよ」
 場の空気が少し変わった。
 どういう意味だ、と言わんばかりに安藤の顔を二人が見上げる。
「今度の金曜日、体育祭があるだろ。それで俺たち男子はサッカーだ。お前ら忘れてないか、俺らこれでも将来期待された有能なサッカー部員だ。今じゃ部活放ったらかしで俺らの名前あるかすら分かんねーけど、腕はそう鈍ってねーと思う」
 聞いて川北が訝しげに首を傾げ、
「・・・・・・お前」
 どうやら察したらしい川北を一瞥して、安藤が言葉を続ける。
「そうさ。腕で敵わねーなら脚で負かしてやりゃいいだけの話だ。用はあいつに負けを認めさせりゃいい」
 八木と川北が同時に顔を見合わせる。
 らしくない、と言わんばかりに河北が安藤を見た。
「何言ってんのお前? サッカーとかマジで言ってんのかよ。んなもんで勝ってどうすんだよ」
 八木も面倒そうにタバコの吸殻を後ろへ放って、
「どっか頭でも打ったんじゃねえのお前おかしいよ。・・・・・・あ、悪ぃ元々だよな」
 くくく、と嘲ったふうに笑う八木を無視して、安藤がさらに言葉を続けた。
「いいかお前ら。まず奈々瀬をどこか人目につかない場所に呼び出して、話を持ちかける」
 真剣にそう話し始めた安藤を見て、川北も少しずつだが表情から冗談が消えていく。
 場の空気を察したのか、八木は嘲笑をやめて二人の顔を見比べた。どちらも彼の知っている顔をしてはいなかった。
「それで、相原このみだ。あいつら少なくとも普通の仲じゃねぇよ。いいか、こう言うんだ。『今度の体育祭のサッカーで俺らに勝てなきゃ、相原がどうなろうが知らない』。理不尽だよなぁ。けどそれが俺たちだ。奈々瀬もいやでも察する。やつは本気だ。だが試合はもちろん俺らのもんだぜ、向こうのクラスにサッカー部員は大須賀秋也ひとりだけだからな。俺らが勝って相原をヤる。忘れずカメラ用意しとけよ。奈々瀬にだけは事実を伝えんだ、これはショックだぜ世間知らずの坊ちゃんて感じだからな。どうだよお前ら、面白いと思わないか」
 どす黒い何かが八木の背中を這い上がる。彼は気付かない。
 川北はにやりと笑みを浮かべて、快く安藤の提案に賛同した。
 安藤も笑みを浮かべる。やがてその笑みが、八木にも伝染する。笑みはやがて声帯を伝って奇妙な笑い声になる。
 笑い声が大きくなった。大きくなるうちに、それは気味の悪い不協和音へと変化していく。
 その光景は、どこか狂気じみていた。





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